『万葉仮名でよむ「万葉集」』石川九楊  東野炎立所見而反見為者月西渡

万葉仮名でよむ『万葉集』

万葉仮名でよむ『万葉集』


だいぶ前のことで記憶も定かではないが、国語の授業で「万葉集」におさめられた歌を習ったはずだ。いくつかの歌は覚えがある。教科書にはふつうの漢字仮名交じり文で書かれていて、当時は別にそれをなんとも思わなかった。後に知ったことだが、万葉集が編纂された奈良時代はかな文字ができるより前なので、万葉集は元来、漢字だけでつづる万葉仮名で書かれていた。

書家である石川九楊は、漢字仮名交じり文で読んでいては分からない万葉仮名の使われ方にこそ、「万葉集」の性格を明らかにする要素が多く含まれているとする。この本は4回にわたるセミナーを大幅改稿して書籍化したもので、荒削りだけれどもユニークな議論が展開される。

一口に万葉仮名と言っても「万葉集」の初期から後期にかけて移り変わりがあって、初期は漢字の意味を当てはめた漢文調になっていた。それが徐々に漢字の意味を捨象して発音だけを使うようになり、最後には一音一字で意味はほぼ無視の万葉仮名が完成する。その方向性をさらに突き詰めると平仮名になるわけだが、それには平安時代古今和歌集を待たなければならない。

初期の万葉歌は漢字がずらずら並んでいるだけなので、実際にどう読まれていたかは必ずしも定かでない。いま通用している読みの多くは、後世の人々が研究して定着させてきた読みなのだ。たとえば人麻呂のこんな有名歌。

 東野炎立所見而反見為者月西渡

 ひむがしの のにかぎろひの たつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ

平安時代に書写された校本ではこの歌の読みは空白になっている。平安時代の時点で既にどう読んでよいか分からなくなっていたのだ。その後いろいろな解釈が検討されて、江戸時代のころに今の読みができたという。月西渡で「つきかたぶきぬ」とは、だいぶ大胆な読みをふったものだ。素直に読めば「つきにしわたる」じゃないのか?この頃はまだ五七五七七の型が完全に出来上がっていたわけでもないし、なかなか読みは分からないというのが著者の主張。万葉初期の歌は、もっと字義にそって解釈すべきだと。さらに、万葉仮名のスタイルができて一音一字になっても、漢字で書かれている以上はその意味を汲んで解釈すべきというところまで踏み込んでいく。

こうして漢字を通して万葉歌を検討していくと、中国語が日本語の形成に与えた影響の大きさが浮かび上がってくる。もともと日本列島で使われていた「やまとことば」は後の日本語とかなり異なるものであり、中国から流入した圧倒的な文字・言語・文化の影響を受け、書字として書き記されることによりはじめて日本語が形成されていったとするのが本書の主張。中国の影響を多大に受けて日本語ができたのは漢字や音読みだけとっても当たり前の認識だが、本書は「日本語は中国語のピジンだ」くらい言い切りかねない勢いである。さほど強い証拠が示されるでもないうえにロジックが怪しいところも多く、明らかに行き過ぎの感がある。しかし、「いまだ・・・ず」のような構文は漢文の解釈から生まれたのだろうという仮説などは、ちょっと成程と思わせ捨てがたい。

多くの歌が引用されているので、万葉仮名の不思議な感じを味わい、古代の日本人が自らの言葉を形にしようと悪戦苦闘した様に思いを馳せたい。