『ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか』鈴森康一  比べてみるとよくわかる

ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか―工学に立ちはだかる「究極の力学構造」 (ブルーバックス)

ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか―工学に立ちはだかる「究極の力学構造」 (ブルーバックス)


著者はロボットの専門家。ひとつにはロボットと生き物とがはからずも「似てしまう」例を、もうひとつにはそれでも違うロボットと生き物の特徴が挙げられていく。

似てしまう例としては、人間の腕関節と、産業用ロボットのアーム関節との類似や、筋肉+腱の構造と、モーターをボディ側に置いて末端とをワイヤでつなぐ設計との類似などが挙げられる。このあたりは、最初に設計した人のアタマの中に生き物の構造がなかったのかは分からんが、力学や幾何学の制約があるので取れるデザインの幅におのずと制約があるのは理解できる。

一方、違う点としては、使う素材の違いや、車輪みたいな回転機構の有無などがある。生物は細胞が自己複製していく現地生産方式なので、金属やプラスチックみたいな固くて加工しにくい素材は使えない。また、回転機構も末端への栄養補給をどう行うのかが問題になるので使われにくい。

面白いのは、敢えてロボットと比べることによって、当たり前として見過ごしてしまいそうな生き物の特徴が見えてくること。こういう比較でもしないことには、なかなか人間の腕関節を自由度という観点から考えたりはしないだろう。また、進化のようなランダムな試行錯誤でできたデザインと、人間がアタマを使って設計するデザインとの比較として読んでも興味深い。

個々の機能は別として、現状の一般的なロボットたちと人間とを総体的に隔てるのは、そのやわらかさ=コンプライアンスの違いだろう。人間はやわらかい筋肉と、拮抗筋や二関節筋の採用により、周囲の環境からのフィードバックに絶妙に対応する能力を手にしている。しかし、その機能を解き明かすことで、もっとやわらかいロボットを作ることも可能になってきているそうだ。生物の微細構造を再現するような技術も生まれてきている。こうして、物理的な生き物の機能を解析して再現することが出来るならば、精神的な面も真似するようなことができるのではないだろうか?(と思って次の本を控えさせているのだがなかなか読む暇がなさそうだ。。。)