『脳のなかの天使』V・S・ラマチャンドラン  天使は出てこないけれど

脳のなかの天使

脳のなかの天使

邦題は、好評だった前作にならって『脳のなかの天使』、略して脳天。一方、原題は『The Tell-Tale Brain』となっている。さて、脳がどんな「お話」を語っているのか?たぶん、それは「統一された自己としての意識」ってあたりを意味しているのではないか。

ワタクシたちの実感として「自分」というやつは確かに存在する。その自意識の器が脳であることも、おおかたの現代人の了解事項だ*1。その意識について考える場合に陥りがちなのが「ホムンクルスの誤謬」と呼ばれる論理的な誤りだ。本書では、「あの椅子を見ると、頭のなかでどんなことが起こると思いますか?」との問いかけに対して、「網膜の上にできた椅子の像が神経を通って脳の視覚野に送られて椅子が見えます。もちろん眼のなかの像は上下が逆さまになっているので、脳の中で、もとの向きに戻す必要がありますが。」と答えた人の例が登場する。もし、椅子の像があたまの中の何らか心的なスクリーンに「投影される」のであれば、あたまの中でそれを見て解釈する小人-ホムンクルスが必要になってしまう。しかし、そのホムンクルスはどうやって椅子の像を認識するのか?ホムンクルスのあたまの中には更に小さいホムンクルスがいて、、、かくしてロジックは無限後退に陥ってしまう*2

なので、知覚の仕組みを解明するためには、神経信号を脳が記号的記述として処理する様子をつかまなければいけない。。。と書いても何の事やら分からないかもしれないが、そこを(完全にではないが)絵解きしてくれるのが本書である。

 

脳の仕組みを解き明かそうとするラマチャンドランのやり方は、科学の世界ではオーソドックスな方法、すなわち還元主義的な方法である。

ヒトの知覚や記憶などのさまざまな機能は、概ね脳の特定の場所に局在していることが明らかになってきているそうだ。視覚を扱う視覚野だけでも30くらいの数があり、それぞれが色覚、運動視、形態視など異なる機能を受け持っている。それらのパッチワークが複雑な回路を形成して、われわれは意識の上では統一した視覚を手に入れている。

 

なぜ、そんなことが分かるのか?

脳スキャナみたいなテクノロジーの発達でいろいろ分かってきたことも多いようだが、ラマチャンドランが好むのはローテクで済む「スモール・サイエンス」だ。事故や病気のせいで不幸にも脳の機能を部分的に損失した臨床例からは驚くような話が出てくる。例えば、半昏睡状態で目の前にいる自分の父親を認識できない患者が、なぜか隣の部屋から父親が電話をかけてくると、にわかに意識を取り戻して父親をそれと認識して会話する!その患者の脳の機能を失った箇所を調べれば、そこが一体どんな役割を果たしているのかが見えてくるわけだ。

こうした臨床のバックグラウンドが、ラマチャンドランの書く本を一般人にも分かりやすくさせているのだと思う。

 

本書では幻肢、視覚、共感覚、ミラーニューロン自閉症など定番のトピックが扱われるほか、終盤では美的感覚や芸術の認知科学にまで大胆に論を進めていく。

*1:これが昔だと心臓であったりするわけだから不思議

*2:脳のなかには本当は誰もいやしないから、それを「幽霊」と言ってみたりするわけだ