三保松原の逆転登録は「政治力」のおかげじゃない

という主旨の寄稿記事が7月24日の毎日新聞夕刊にあった。寄稿者は逆転登録の他ならぬ立役者とされている前文化庁長官の近藤誠一氏。たいへんに感心させる記事であったが、Webには上がっていないようなので少し記録しておく。

まず、逆転登録は「政治力」の成果だとする報道が続いたことを受けて、

実はこの程度の働きかけや人脈形成は外交官はみなやっている。表に出ないだけだ。

プロの矜持ですな。

じゃあ、なにが良かったのか問われれば、それは世界遺産の政治化を避けるべく細心の配慮をし、あくまで日本文化についての本質論をぶつけたからであると。

近年、途上国案件を中心に「政治力」でゴリ押ししようとする動きが目立ち、世界遺産を審査する専門家サイドとの間で信頼関係が崩れてきていたそうだ。そうした中で日本が「政治力」に頼るようではますます世界遺産委員会は混乱する。近藤氏は専門家たちに助言を求めた上*1で、原則を最も限定的に解釈する4つの委員国を難しい順に説得していった。

これは政治力で反対を押し切るロビー活動ではない。専門的議論によって全会一致の支持を得るという原則を守った。だから原則に忠実な国から始め、反対が出たところでやめるつもりだった。
「今後イコモスの勧告が悪くても、ロビー活動でひっくり返せばいい」と安易に考えてほしくない。

審議で真っ先に発言を求めて三保の支持を表明したのは、近藤氏が説得した原則に忠実な国のうちのひとつだったという。

これも政治力ということばの定義次第なところがあって、この近藤さんの行動こそがほんとうの政治力ではないかという気もする。手強いところから説得していくあたり技術的にもさすがと感じる。だが、なにより近藤氏が「世界遺産かくあるべし」との本質にコミットしており、世界遺産サークルからの信頼があったからこそ、一見派手な逆転劇*2があったのだろう。



ふつうの日本人(関東人?)にとって富士山とは遠くに仰ぎ見るものであり、その象徴が三保松原だと思うので、個人的にも三保松原が蹴られなかったのは素直にうれしい。景観がどうのこうの言われるているが、一度だけ数年前に訪れた時には、海岸はゴミひとつなかったし本当にきれいだった。

*1:ここで専門家から肯定的な意見をもらえたのも、また、そうなるであろうという目算が立ったのも、以前からの意見交換の積み重ねがあったからこそのようだ。

*2:ほんとにパーフェクトならそもそも逆転劇にはしなかったのだろうけれど。その点、ご本人も多少歯痒いのではあるまいか。