『日露戦争、資金調達の戦い―高橋是清と欧米バンカーたち―』板谷敏彦 単なる美談だけではなく
日露戦争、資金調達の戦い: 高橋是清と欧米バンカーたち (新潮選書)
- 作者: 板谷敏彦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/02/24
- メディア: 単行本
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この本の冒頭は、二・二六事件翌年の高橋是清追悼会の様子からはじまる。高橋に随行して日露戦争時のロンドンで資金調達に取り組んだ深井英五が、頼まれて当時の話をスピーチするところだ。国家の命運を賭けたファイナンスが、青年将校たちに国賊の汚名を着せられた高橋の追悼にふさわしいテーマと考えられたのは当然だろう。だが、深井によれば日露戦争の資金調達談は、高橋の自伝にあるような浪花節にとどまるような単純なものではなかったと言うのだ。では一体、単純ではない何があったのだろう?それを本書は紐解こうとする。
この本の魅力は2面ある。ひとつは、極東の後進国であった日本の命運を賭けて、高橋らが欧米の金融界と渡り合うストーリーの面白さ。浪花節的な美談の世界と言ってよい。ロンドンへ旅立つ高橋の壮行会の席で明治の元老たちが肩を抱き合って泣いている様子からは、ちょっと滑稽ながらも当時の日本の体温が伝わってくる。
ルーズベルトにかけあって無理矢理にドイツ皇帝からの親書を見せてもらうが、フランス語が読めずに結局ルーズベルトに翻訳してもらう金子堅太郎の逸話も、ホントかどうか疑いたくなる*1ほど面白い。時代が時代とは言え、今ではアメリカ大統領とここまでやれる日本人はいまい。
しかし、本書の主眼はそれだけではない。当時の金融界ひいては世界の情勢がどうなっていたのか、いわば物語の背景がこの本独特の魅力となっている。背景がみっちりと書き込まれていればこそ物語も映えてくるわけだ。
舞台となる20世紀初頭は、産業革命が世界に一通り浸透してちょうど経済が金本位制を通じてグローバル化した時期になる。ヴィクトリア朝は終わっているがまだ英国が世界のリーダー的位置にあり*2、太平洋に達した新興勢力米国の勢いはすさまじく、極東の島国日本がようやく世界に向かって本格的に開かれ、ロシアでは革命の予兆が漂っている。
例えば、日露の国力比較を見てみる。当時のロシアのGDP*3は日本の3倍もあった。また、人口もロシアの方が3倍あった。と、言うことは、一人当たりGDPでは日本とロシアはほぼ同等だったのだ。当時のロシアが国内情勢不安のために戦争に集中できなかったことは知っていたが、そもそもの話として、いくらロシアがヨーロッパの中では遅れていた地域といえ日本と同等の経済発展度合いであったとは意外だ。なるほど、それならば日本に金を貸そうとする投資家が現れるのもふしぎな話ではない。
こうした数字や図表を用いることで当時の日本の置かれた状況が分かり、その中で高橋らがどんな判断でどう行動したかが伝わるようになっている。また、ロンドン公債市場や東京株式取引所の相場が、戦況の報道を受けて上下する様も丁寧に追われており興味深い。
当時の金融市場に占める鉄道のウェイトも想像を超えていた。ロンドンにせよニューヨークにせよ、時価総額の約半分は鉄道関連の株・債券なのだ。特にアメリカでは金融資本は鉄道と強く結びついていて、これは戦後の南満洲鉄道に関する一悶着につながっていく。戦中に日本国債を買ったアメリカの資本家が南満洲鉄道に資本参加しようとし、恩のある高橋も当然これを支持していたのだが、国内の政治的な動きにより頓挫してしまう。血とカネで贖った満洲は、その後の日本外交の制約条件となっていく。本書の射程は日露戦争を越えて第二次世界大戦まで届いているのだ。