『森林飽和―国土の変貌を考える』太田猛彦  終盤の肩透かしに少々ガッカリ

森林飽和―国土の変貌を考える (NHKブックス No.1193)

森林飽和―国土の変貌を考える (NHKブックス No.1193)


本書の要旨は2点ある。

  • 本の森林破壊は古代・中世から起こっており、江戸時代の人口増加と共に加速し明治時代にピークに達した。江戸末期から明治の山々は、はげ山だらけであった。里山と呼ばれるものも要するに痩せた荒れ地だった。
  • 戦後になって急速に森林は回復した。近年顕著になった海岸侵食の主要因は山からの土砂流出が減ったからではないか。

まず前半の日本における森林利用の歴史は、ワタクシが以前に読んだ『国土と日本人』でも触れられていたが、こちらはより詳細に解説されている。

昔は燃料にせよ建材にせよ森から木を調達するしかなかったわけで、人口が増えればそれは森林破壊と直結した。古くは天武天皇が森林保護を命じる勅令を出していたそうだ。奈良時代東大寺造営では畿内から材木を調達していたが、鎌倉・南北朝時代の工事では、周防、美濃、飛騨、阿波、土佐まで調達先を拡大させている。畿内では大径木がすでに枯渇していたのであろう。また、製塩、製鉄、窯業といった燃料を多く消費する産業が起こった土地の周辺でも森林は破壊されていった。もちろん農村も周囲の里山の森林資源をどんどん消費していった。

てな具合で、人口が急増した江戸時代中期までには日本中がはげ山だらけになっていたのだ。面白いのは、明治期の野山の写真のほかに、江戸時代の浮世絵を見せて「ほら、描かれている山に木がほとんど生えていないでしょ」と、やっているところ。今までそんなこと思ってもみなかったが、確かに言われてみればそのとおりなのである。

森林破壊は資源枯渇を意味するだけでなく、山地では土砂災害を多発させ、下流では流れた土砂により河床を上昇させて洪水を引き起こし、海岸には飛砂の被害をもたらした。

さて、この流れは第二次世界大戦後になり化石燃料・外材の使用によって180度ターンする。戦後すぐの積極的な植林も森林増加を後押しした。よって、われわれは新たな問題を抱えているというのが後半のテーマで、通説をひっくり返すどんな展開を見せてくれるのかと期待しながら読んだのだが、そこがやや拍子抜けだった。

口絵にも、どんどん侵食が進む小田原の砂浜の時系列写真が掲載されている。海岸侵食の原因として一般に言われているものは大きく2つあって、河原での砂利採取と、ダムへの土砂堆積とである。著者はこの2つよりも、そもそも山からの土砂供給減が効いていると言いたいみたいだ。しかし、森林が少なくとも現代並みには豊富であった中世以前に海岸が侵食される一方だったかと言えばそんなこともなさそうだ。たしかに理屈とすれば山からの土砂流出が減れば海岸に到達する砂も減るのだろうが、ダムと森林のどちらが効いているのかを示せないまま、やたらと森林だけ強調するのが解せない。むしろ、海岸侵食が現代特有の現象とすれば*1、主犯はこれまで営々とやってきた砂防工事が環境に合わなくなって裏目に出ていることではなかろうか。

ともあれ、河川が土砂を運びすぎても運ばなさすぎてもダメで、何事も適量が肝心であるのは何となく理解できた。

ひとつオマケに言うと、本書のそこかしこで、昨今の自然林ブーム(?)に対して人工林を擁護する記述が盛り込まれている。言いたいことは分かったがこれまた叙述が中途半端なところが。土壌流出防止機能は自然林も人工林も大差ないと著者は主張する。ただし人工林の場合、それがきちんと手入れされていればだというのだ。読みながら心の中で「その手入れが出来ていないから問題になっているのと違うの?」と突っ込んでみるものの、そこから先は堂々の放置プレイである。その先の、どう手入れしていくかが知りたいのに*2

著者の太田先生は、単なるサイエンティストであるだけでなく、エンジニアや行政官の香りもする方だと感じた。別にそれは悪いことでもないし、むしろ治山・砂防の現場に携わってこられたことには敬意を表したいし、随所に盛り込まれた「人工林推し」を読んでいると、現場を無視してやたら自然林・広葉樹を推す手合いに苦々しい思いをされているのだろうなと察しもする。けれど、こういう一般向けの本はもう少し自由なサイエンティストよりの姿勢で書かれているほうが読み応えがあるかもしれんと思った次第。

*1:過去に現代同様の海岸侵食があったかどうかについては本書では触れられていないし、ワタクシもそのような知識がないのであくまで仮定です。

*2:最終章に将来に向けての考察的なくだりがあるが、現状認識+抽象的な理念が書かれているばかりで、必ずしも問題に正面から向き合っていない印象。