『学力と階層』苅谷剛彦  ケレン味のない社会論

学力と階層 (朝日文庫)

学力と階層 (朝日文庫)


2008年刊行の単行本が文庫化されたもの。テーマが広く関心を集めそうだし、一般向けに書かれているのだとは思うが、実のところ中身はわりと地味な論文集のおもむき。しかし、内田樹氏が言及しているおかげか本屋に平積みされていた。

家庭環境と学力

1章のタイトルにあるように「階層で学力が決まるのか、学力が階層を作るのか」は、議論を呼ぶテーマだ。ニワトリ卵問題的なところはあるのだが、本書の主張は、家庭環境=階層がかなりの程度で学力に影響を与えている、というもの。それも学習意欲の段階で階層の影響が現れている。日本においては「努力は平等」の思想を背景にメリトクラシー(能力主義)が支配的であり、階層差が学力に与える影響には長らく目が向けられなかった。だが著者らの実証研究によれば、階層の影響はますます強まってきている。

そうした状況で求められる教育政策は何か?近年、実施・検討されてきた政策は、ゆとり教育にしても義務教育の地方移管・バウチャー制度にしても、階層下位に横たわる問題に目を向けていない。必要なのは、放っておくと学びからドロップアウトしてしまう層をすくい上げる施策だろう。なかなか具体的な案を考えるのも難しそうだが、例えば本書では、絶対評価で一定のレベルに達しないと単位を取得できない「修得主義」の導入が挙げられている。

こうした考えは一種のパターナリズムに違いない。しかし、「個性」や「主体的な選択」を尊重したりするばかりのナイーヴな能力主義・競争礼賛が見落としている観点に気づかせてくれる。

ポピュリズム 対 エリート支配

もうひとつ興味を引いたのは、社会における再帰性(リフレクシビリティ)の高まりについてだ。イギリスの社会学者でギデンズという人が唱えているのだそうだが、社会全体が自らモニタリングしながら進むこと、例えば、マニフェスト選挙地方自治への住民参加により、国民や住民の意思が政治・社会に反映されていく状況をさす。パッと聞いたかぎりでは「結構なことですな」という程度の感想しか出てこないが、あの大阪市長のよって立つところがこの再帰性にあるかもと考えると、なかなか一筋縄でいかぬ概念だ。この再帰性の高まりにより、専門家や法による歯止めが利きづらく、性急で場当たり的な改革が行われやすい土壌が出来ている。とくに人々の関心の高い教育分野がその影響を大きく受けるのはうなづける。

だが再帰性は真正面から否定できない。再帰性全否定だと専制主義かエリート支配になってしまう。苅谷氏のような研究者にしてみれば、地道に実証研究を重ねるしかないのだろうか。それが実を結ぶかどうかは定かでないにしても、だ。