クロネコにまつわる思い出
たぶん30年くらい前、ワタクシがまだ小学生だった頃のことだと思う。
毎年の夏休みには、九州にある母方の実家に1から2週間くらい行っていた。祖父は当時すでにリタイアしていたがもともとは公務員をしていたそうで、現代の基準からすれば謹厳実直と言ってよい人柄だった。別に怖くはないし、ふつうに優しかったが、今時のおじいさんのように「相好を崩して孫と遊ぶ」といった感じではなかった。
ある日、祖父が留守にしていた間のことだった。母方は女ばかりの姉妹で、ウチの母以外は、みんな実家の近辺に住んでいた。母がその姉妹たち、それから祖母と、なにやら荷物を送る相談をしていた。以下は、その会話である。*1
「この荷物を送りたいのだけれど、たしか、あそこの店でクロネコヤマトを扱っていたよね。」
「だめだめ、クロネコはおじいさんに怒られる。」
「別にそんなのばれなければイイでしょう。」
「いや、いかんいかん。クロネコはやめといた方がいい。」
「えー、この暑いのに遠くの郵便局まで持って行くなんて。」
「郵便局まで行かなくても、XXの店でペリカン便やっているから、そこで出せばいい。」
「おじいさんは郵便局じゃないとダメなんでしょ。」
「いや、ペリカン便なら大丈夫だと思う。」
「なにそれ、クロネコだけだめなの?訳が分からない。念のため郵便小包にしとこうか。」
「訳は知らんけれど、とにかくクロネコは怒られる。」
ワタクシはその会話を脇で聞くともなく聞いていた。もちろん小学生の興味関心を引く会話ではなかったけれど、「なんでおじいさんはクロネコが嫌いなのだろう?」という引っかかりはあったのだろう。なぜなら、十数年後にこの会話のことを忽然と思い出したからだ。
ヤマト運輸の小倉社長(当時)が運輸省とのあいだで、80年代頃に運賃や免許について闘いを繰り広げていたという回顧記事を読んだときだ。その記事を読んだころ、信書の扱いについてヤマトが行政と角を突き合わせていたのはリアルタイムで知っていたが、そんなに昔から行政との闘いがあったのははじめて知ったのだ。そういえば祖父がクロネコヤマトを目の敵にしたいたがこういう訳だったのかと、ふと腑に落ちた。祖父の目に小倉氏は「私欲のために公の秩序に逆らうとんでもない男」とでもいった風に写っていたに違いない。
祖父は田舎の元公務員であり保守的な人物には違いなかったが、80年代当時の感覚からすれば、官を批判して規制緩和を訴える人よりも、祖父の方がより平均的日本人のポジションに近かったのではないか。
時代は移って、今や猫も杓子も役人批判といった風潮であるが、そうした意見を吐くことが困難であった時代、ましてや規制でがんじがらめの保守的な風土である運送業界*2で、堂々と信念に従って行動した小倉氏に、ワタクシはこのエピソードを思い出したことでますます敬意を抱くようになった。
逆に言えば、誰もがしているような批判にはさして値打ちがない場合が多いし、その中身が妥当なのかどうかはよくよく吟味したほうがよい。*3
さて、久しぶりに少し読み返した小倉氏の著書である。

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「宅急便」の開発は、きわめて理知的でシンプルな仮説思考で行われたことが良く分かる。
しかし、本当の「宅急便」ストーリーの勘所は、これだけの決断をしてのけた小倉氏の経営者としての胆力だ。サラリーマン経営者では、なかなかこうはいかないだろう。読んでいて、経営者の孤独、といった影すら感じられる。