『縮む世界でどう生き延びるか?』長谷川英祐  いったい何が縮んでいるのか?

縮む世界でどう生き延びるか? (メディアファクトリー新書)

縮む世界でどう生き延びるか? (メディアファクトリー新書)


同じレーベルの新書からでていた前作は素晴らしいできだった。こちらの2作目は山形浩生のブログでこき下ろされていたのを見かけたので、どんなものであるか恐る恐る読んでみた。うん、別に社会ダーウィニズムとかまでは思わないが、たしかに前作とは雲泥の差。二匹目のドジョウを狙ったものの、つい生煮えの本を出してしまった印象を受けた。

生物の増殖は環境により制限されますね、ってことは当たり前。でも、それを人間に敷衍しようとする時に、われわれを取り巻く環境のうち、いったい何がどう「縮んで」いるのかが曖昧なままでは、何を論じても印象論の域を出ない。イノベーションや潜在的欲望が無限とは限らないというが、そうした内生的なことは少なくとも縮む世界に適応すべき理由にはならないと思う。

成長の限界の理由として挙げられている説の中でも、説得力を持ちうるのは食料、エネルギーなど資源の枯渇くらいだろう。これが人間にとってどれくらい緊急度の高い問題なのかは議論があるにしても、それはあくまで程度問題であって、人間様だけ物理的な制約からまったく無縁と言うことは確かにありえない。だが、後半戦で本書が標的にしている昨今の経済的行き詰まりは、資源枯渇を原因にしてはいないと思われる。なので本書の議論は宙をさまよったままだ。

また、安定的な環境では生物にとって数を増やしても意味がなくて、それは縮む世界に似ているとするが、人間を取り巻く環境が今後安定しているかどうかなんて分からない。


さて、本書の論旨からは外れるのだが、読みながらワタクシがつらつら考えたのは「でも、ある意味、人間って縮みつつあるよな」ということ。数十年前まではひたすら人口爆発が懸念されていたが、先進国から順々にいつのまにやら高齢化→人口減の流れが定着しつつある。まだアフリカや中東とかでは元気があって地球人口はしばらく増えそうだが、そのうち一定のラインで収束しそうな雰囲気ではある。原因はいろいろな説明が唱えられているが端的には不明と言ってかまわないと思う。本書でもr-K選択なんて環境収容力が個体数を決定する枠組みが解説されているが、人類もある環境収容力に適応しているように見えなくもない。それでは、人類の増加にキャップをはめている(ように見える)環境収容力とは何なのだろう?直感的には、例えば化石燃料の枯渇を予想して人々が産児数を調節しているとは思えないし。それへのヒントが進化生物学からでてきたら面白いけれどなあ。