『贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ』桜井英治  室町時代の贈与経済

贈与の歴史学  儀礼と経済のあいだ (中公新書)

贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ (中公新書)


タイトルから、一般論的な贈与についての本かと思って手にとったが、本書の中心は15世紀前後の室町時代での貴族・武家社会での贈与のありかた。当時は贈与経済が市場経済と並んで幕府財政をも支える柱にさえなっていた。

ひとつの背景として、室町幕府は京都に所在したためか都市的性格が強かった。土地や農業からの収入よりも、商業・流通・金融・貿易からの収入に重きを置いていた。年貢を現物でなく銭で収める代銭納制が1270年ごろから急速に普及したのは、南宋の滅亡により銅銭が大量に周辺地域へ流出したためと言われている*1。米などの作物を現地で換金するために商品経済、信用経済が発達した。この後、江戸時代になって年貢は物納に回帰して武家社会は米をベースにした経済になるわけで、歴史と言うのは単線的に発展するものではないようだ。

当時の人々の行動基準となっていた「有徳思想」、「けち(欠けるってこと)」、「例」、「相当」などの概念は現代人でも充分に理解できる。しかし室町人は、それらにメチャクチャこだわっていた。それが現代から見ると特異な贈与経済をうむ。将軍も皇族も、財政基盤が弱かったこともあって、自転車操業で贈り物のやり取りをしてる。贈り物はそのモノ自体に価値がある場合もあるが、ほとんどは非人格的なあつかい。もらった贈物を、さらに別の人への贈物へ転用するのも当たり前。さらに極めつけは銭の贈与。やはりモノより薄礼という意識はあったみたいだが。さらに現金がなくても「折紙」により贈物が手形化する。中世は権利の譲渡については現代よりよほどドライでもある。

本筋からは離れた感想だが、室町時代では皇室と幕府が近所づきあいをしていたのも贈与儀礼が妙に発達した原因かもしれない。ヒエラルキーがはっきりしていないと余計な気遣いが多く生じるのは現代でもありそうなことだし。

今と似ていて少し違う経済・儀礼感覚をリアルに描き出して面白い。贈与経済の単純化・非人格化を推し進めた先に、市場経済の姿が見えるような気もする。

*1:東アジア全域で中国銭使用がこの時期に拡大している