渡辺京二傑作選 新書y
渡辺京二という評論家の存在を意識して知ったのは最近のことだ。3.11から数ヵ月後くらい、東日本大震災を受けてのなにやらシンポジウムについて、新聞の文化面で記事になっていた。その中で渡辺京二の発言が紹介されていたのだが、曰く、「人間は死ぬから面白い」*1。たしか、放射能騒ぎを受けての言だったと思うが、身も蓋もないことを言うものだと思った。たしかに地震や原発に浮き足立って右往左往する世相をみごとにえぐっていたが、こんな発言をするのはよほどの胆力があるのか、それとも、ぜんぜん空気が読めないだけなのか。
同じ記事中でプロフィールも紹介されていたのかもしれない。水俣病の活動をしていて石牟礼道子と云々、というところでハタと思い当たった。文庫の『苦海浄土』に解説を寄せていた人ではないか。
ふつう、文庫本の巻末解説は、邪魔とまでは言わぬが、あってもなくてもどちらでも結構とでも言うべきものがほとんどだ。しかし『苦海浄土』の解説は、長年の理解者によるだけあって、この作品が聞き書きではないこと、患者が語る海の情景が幻想であることなどを指摘して、めずらしく読みを深めてくれた。
さて、そうしたわけで気になってきた渡辺京二だが、近年はベストセラーになる本まで出て世間からも俄かに注目されているそうだ。その流れで洋泉社の新書から復刊された著作を少しずつ読んでいった。00年代・70年代・80年代と、幅広い時期に書かれたものがラインアップされている。

- 作者: 渡辺京二
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2011/07/06
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戦国時代から徳川政権の成立までを、「自由な中世、反動的な近世」という左翼史学への批判をモチーフに描き出す。
幕末の日本人は礼儀正しく、素朴で、のどかだと外国人たちが報告している。一方、戦国末期に宣教師などが見た日本人は「はなはだ血なまぐさかった」。これはまさに時代が乱世、それぞれの惣村が武装して殺戮や人身捕獲が横行し、法治とは無縁な自力救済の世の中だったからだ。そこを織豊政権、それに続く徳川政権が武力で持って安定をもたらしたというのが大まかな構図。ここに描かれる戦国の人々の様子は、現代とは違う情念を持っていてなんともリアルである(一味同心や、宣教師の説教に悲嘆にくれるなどの様子)。著者自身の左翼史学に対するいらだちも文中に露わになっていて、少々くどくはあるが迫力をもたらしている。
現代アメリカの司法(p.157〜)や、広島爆心地の碑文(p.281)にまで論が展開してハッとさせられることも。

- 作者: 渡辺京二
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明治9年に、渡辺京二の郷土である熊本で起こったいわゆる不平士族の反乱がテーマ。
神風連の乱は、端的に言ってしまうと、時代にどうしても迎合できなかった人々の行き詰った末の愚行。しかし、彼らがなぜそのような行動を取るしかなかったのかをしつこく考察する。著者は歴史的事件をグッと自分の問題意識に引き付けて書いているので、その論考のアクの強さに対しては賛否があるかもしれない。「市民社会」への違和感が本書を裏で貫くテーマ。

- 作者: 渡辺京二
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ネオダーウィニズムからきた進化のランダムネスを唱える社会生物学を否定して、人類史を貫く法則・必然性があるはずだと説く表題作などの講演録。難しいテーマを扱いながらも、語り口調なので読みやすい。
著者の姿勢をよく表している一節
先行する時代構造のパラダイム、たとえば倫理や伝統といったカテゴリーから自分は自由だなんて自慢したって、そんなのは、自分が現代という時代構造に安住しているということの告白でしかありません。 p.37
4巻目も出ているので、おいおい読んでいきたい。
*1:うろ憶えなので細部は違うかも