再訪 ミルグラムの服従実験 : 実際のところ何を証明したのか?

2013年9月11付の"boing boing"書評記事を試しに訳してみた*1ミルグラムの実験といえば心理学でもっとも有名な部類にはいる実験。この記事には、ビックリしたの半分、「ああ、やっぱり」と納得したの半分といったところ。)

スタンリー・ミルグラム服従実験といえば、ただ単に実験者から指示されたというだけで被験者が他の被験者を死に追いやるまで電気ショックを与えてしまったと信じこんでいたというものだ。しかし、オーストラリアのジャーナリスト兼心理学者であるジーナ・ペリーの新著"Behind the Shock Machine: The Untold Story of the Notorious Milgram Psychology Experiments"は実験の原資料を再検証して、ミルグラムが結果をでっちあげたと結論づけている。

ペリーはミルグラム実験のオリジナル・テープを検証し、被験者と研究者で存命の人々にインタビューもした上で、ミルグラムの実験者たちは台本を守らず(これは既に今までに判明していた)、むしろ被験者をなだめたり、おどしたりして何とかショック・ダイヤルを上げさせていたと結論した。さらには、少なからぬ割合の被験者は設定を見破って、ほんとうは電気ショックなぞ実在しないことに気づいていた。そんな被験者たちも、白衣の男の発言にしたがって赤の他人に死に至るほどの電気ショックを進んで与えていたとしてカウントされていたのだ。


以下、"Pacific Standard"からの引用

Behind the Shock Machine: The Untold Story of the Notorious Milgram Psychology Experiments
もしミルグラムのやったことが事後説明プロセスに関するでっち上げの説明だけだったならば、彼の発見はまだなお有効なものだったろう。しかしペリーは、ミルグラムが実験データをも細工していたことを見つけてしまった。できるだけ科学的に見られることを期待してか、論文でミルグラムは実験手続きの画一性を強調している。彼の説明によれば、被験者が続けることに抗議するか懸念を表明したときには、それに対して実験者が4段階にわたって行動を促す刺激を与えた。もし4番目の刺激(「あなたには他に選択肢はありません、先生。続けなさい。」)の後でも被験者が続けることを拒んだならば、実験の終了が宣言されて、被験者は「不服従」としてカウントされたという。しかし、ペリーが聞いたエール大学の録音テープでは、ミルグラムの実験者たちは即興でどんどん台本から遠ざかっていき、被験者に続けさせるように誘導、または見方によっては強要をしていた。基準の不整合は、服従と不服従との境界線が被験者や試行によりまちまちに動いていたことを意味するだけでなく、有名な65%の遵守率は(恣意的な意味づけ程度にしか)人間の本性と関係がないことを意味した。


ミルグラム実験の欠陥は次々とあきらかになった。おそらく最ものっぴきならないことに、ペリーは実験に参加した研究者の一人を見つけ出して、ほとんどの被験者が実際には設定を見抜いていたと信じるに足る理由を発見した。言いかえれば、被験者たちは自分がただの茶番に参加していると知っていたのだ。


徐々に、ペリーは実験をより根本的なレベルから疑うようになった。もし仮にミルグラムのデータが堅固なものだったとしても、彼らが服従について何を証明したかは(もし何かを証明していたとすればだが)明らかでない。もし仮に被験者の65%がもっとも高い電圧のショックを与えるところまで行ったとしても、残り35%はなぜ拒んだのだろうか?なぜ、人はある命令に従ったり、他の命令には従わなかったりするのか?そもそも、どのように人々や組織は権威を演じるのか?おそらくもっとも重要な疑問は、例えばどうやってエール大学実験室とナチ収容所とのあいだの繋がりを理論化するのか、ということだろう。またベトナムの場合であれば、1時間の実験と、何年にもわたる多面的な戦争とのあいだの繋がりを。これらの疑問に対してミルグラムの実験は、パッと見で示唆的に思えても、実のところ役立たずである。

ワタクシの感想

こんなことだろうと予想していたと言うつもりはない。正直、軽い驚きはある。しかし、なんだろう、この「やっぱり感」は。学生時分にこの実験のことを知った時から、何だかよくできた話であるとの印象は持っていたと思う。たとえば「このサクラ、どんだけ演技上手なんだ」とか。ワタクシはミルグラムの著書*2をちゃんと読んだこともないし、もちろんこちらの本も読んでいないからあまり断定的なことも言えないけれど、このミルグラム実験でっち上げ説はいかにもありそうに思える。面白い話は、ウソであっても広まりやすいってわけで。

本件のポイントは、ミルグラムの説が否定されたとかどうとかいうことよりも、むしろ心理学における実験の信頼性一般にあらためて懐疑論を投げかけたことだろう。少なくとも、「ナチ収容所で人間はいったいどんな心理状態に?」なんていう応用問題に、いきなり実験的手法で一足飛びに答えを見つけ出すのは無理筋だってことだ。上記記事(引用部)ラストの一段落なんか、心理学実験そのものにかなりストレートなダメ出しをしている感じだ。この懐疑論自体は新鮮味はないのかもしれないが、業界の人々にとってはやっぱり憂鬱な話ではなかろうか。

*1:なお、それのさらに元記事はこちら(Electric Schlock: Did Stanley Milgram's Famous Obedience Experiments Prove Anything? - Pacific Standard)。こんなに長いとよく訳しません。

*2:わりと最近、山形浩生による新訳も出ていたはず